習慣化について考えてみた

朝活、散歩、筋トレ、読書。

習慣にするといいよって言われるものはたくさんある。

でもなぜ人は3日でやらなくなってしまうのか。

私も全然続かいないタイプだった。

しかも面倒なことに、お金をかけたからといって続くわけでもないたちの悪い性格だ。

うまく行かない…できない…と脳が拒否すると…途端にやめてしまう。

めんどくさがりな性格。

なんでこんなにもだめなんだろうと考えていたらいくつか思い当たるものが見つかった。

いい子いい子で洗脳されていた幼少期

3人兄弟の真ん中。長女。もはや母親にとってはうってつけの助っ人だったのだと思う。

3つ上の兄、年子の妹。母はどんな子育てをしてきたのか…私が今親になって、子供3人も育てることを考えたらゾッとする。

子供が大好きで幼稚園教諭の免許ももつほどの母は、子育ても楽しくてたまらなかった様子。でも流石に年が近い子供3人の幼少期はそれはそれはカオスだっただろう。

1歳半で「おねえちゃん」という洗脳が始まったのは写真を見ていてもわかる。

1歳半のお姉ちゃんは、さぞ妹を可愛がっていたのだろう。

それはいつしか「なんでもできるお姉ちゃん。」「あなたは器用だから」「あなたはお姉ちゃんだから」「あなたは…」

といろんな「お姉ちゃん」の洗脳が続いていた。家のことは当たり前に何でもこなした。

喧嘩をする父と母の仲裁役はいつも私だった。とにかく「いいこ」でいることが全てだった。

なんでもできるはずが、うまくできないことが増えてきた

中高生になる頃、何もかもうまく行かない時期があった。勉強も部活も全然楽しくない。

それは私がずっと「なんでも大体うまくできてしまっていたから」だと思う。

ちょっとの努力だけでは到底乗り越えられない勉強は部活動の壁が立ちはだかっていた。

自分より何個も上にいる友達をみて、「なんで私できないんだろう…」って凹んだ。

テストをすれば「あれ?そんな頭悪かったの?」って言われて、かなりショックだった…。本番に弱いタイプなのもあった。

頭良さそう、運動できそう、何でもできる、モテそう。なぜか見た目だけでそんなレッテルばかり貼られてた。確かに大体の事はできたし困ることもほとんどなかった。ただ、全てが中の中。ずば抜けてできることがなかったのだ。

この頃の不調加減はずっと続き、ようやく過去の「お姉ちゃん」の洗脳のせいだ…!と気づいたのはほんの数年前。

いや、確信したのはついさっき。

書いててハッとした。私、これが脳の中にずっとこびりついていたのだとおもう。

「大体なんでもできる」「どこに出しても恥ずかしくない娘に育てた。」

それが私の自信になったときも有ったが実際は、できない壁にぶち当たった時努力する力にはならなかった。

何でもできるはずなんだ!と頑張れる子になっていたら良かったけど、努力を知らない私にとって、努力することほどしんどいものはなかった。

だから、続けることがきらい。お金かけても無理なものは無理なんだよ…

っていう脳になってしまっていたんだな…。

潜在意識を意識し始めた

これは書き換えなくては。私は努力できる人。努力したからこそできるようになったこと、たくさんあるはずだ。…きっと…。

私は努力でもっともっと視野を広げていくんだ…

なぜって?理想の暮らしをしたいから

「目的」があったら努力できるかもしれないと考えた。

朝活するのは「息子との時間のため」「運動する時間のため」「手帳タイムを作りたい」「家を整えたい」

筋トレするのは「メンタルを整えるため」

家で仕事するのは「他人に感情を振り回されないようにするため」

そう目的があるから頑張れるのだ。(脳にインプット中)

今始めている事業が2つある。1つに絞らないと全く進む気がしない。本当は1つに絞りたい。

1つはライスワーク、もう一つはライフワークに…1つずつ極められたら…いいのに…ここだけ。全然上手く行かなくてしんどい部分。

どこかに突破口があるはず。稼げる軸が1つでもあれば…そう思ってきた。

もう一度何か稼ぐ用のアフィブログ作ってみたらいいのか…そこに時間をかけられるだろうか…。

いや、これ以上やることを増やしたくない。

今日1つの事業で提案してもらったことがあった。

「型を作って全部10万で売ると原価償却的にいいよね。」そうか。やってみよう。だって提案してもらったもん。言われたことを素直にやる…!!!

素直な人ほど進むのが早いんだよ。何度言われても素直になれないのは何だったんだろう。

今度こそやろう。