久々の大型連休…台風の影響で予定がめちゃくちゃになった今回の旅行。
1週間滞在予定だった実家もまさかの3日で退散となり、久々の母との生活も名残惜しい終わりだった。
自宅に帰って感じたこと…
「めっちゃ掃除したい…片付けたい…なんだこの空間…!!!!」
実家はなぜ快適なのか
私の母は片付けは苦手なんだと思いこんでいた。幼少期に育った自宅はお世辞にも片付いた空間ではなく、あれもこれも広がってる雑然としたthe生活感のあふれる我が家。
そんな空間で育ったので、ものがあふれる雑然とした空間も私は全然平気なのだけど、現在一人暮らしの母の家で数日生活し、(その時はあまり何も感じなかったけど)自宅に帰ったとき猛烈に違和感を覚えた…。
子育ても終了し、父親も他界し、超自由人になった母はまさしく翼でも生えたかのような楽しい生活を送っているようだった。
決して贅沢はしない慎ましい食生活、必要なものだけ、使えるものは使う、なんでも工夫したら使える!とケチではなく、身の丈に合った生活になっていて。
もったいない星人だったけど、もう使わない!と判断できるものはどんどん処分。
身軽になった家はとても快適だった。
子供を連れて行ってもギリギリ事足りる物たち。厳選されたおもちゃや絵本も残っていた。
狭い空間に必要なものだけで生活するってこういうことだな、とぼんやり感じていたのだった。
欲しい物が使いたいときにある。なんとなくこのへんかな…というあたりをつけて探せばだいたい見つかる。これは母と子だから感性が似ているため?きっと片付けのクセが似ているのかもしれない。
自宅に戻ったときの違和感
我が家は持ち家だけどものすごく狭い。本当に狭い。
この空間でどうやって子育てしていこうか…と日々試行錯誤して片付けしている。
とんぼ返りで自宅に戻り、感じたのはまるで雑然としすぎてイライラとする感情。
なんでこんなところにこんなものが!!
なんでこんなに広がってるの!
なんで片付ける場所がないの…??
そんな気持ちが溢れていた。
そしてピコンと片付けスイッチが入り夜中までとにかく今出ているものを、持ち物の住所へ…戻す…!!!!……はずだったのだが…
「住所がない」問題にぶちあたる。
「片付けるにはものの住所を決めよう」ってよく言われているのに。
全然できてなかった。
母の家はこれがうまくハマっていたのか…あんなに片付けできない人だと思っていたのに、ただできていなかっただけなのかも…?私もできるかも…?というか、あの無駄が無い空間にしたい!!と強く思うきっかけになった。
旅行から帰った翌日くらいに片付け広告にであう奇跡
これはとある発信者さんの言ってた言葉をちょっと変えた内容。
今回の私だったら、この片付けたい欲が高まっているときに「片付けの学び」系広告みたら、やりたい!と思うかもしれない。鉄は熱いうちに理論で、どこかで目にできたらいいのかもしれない。
人はどんなときに「片付けたい!」と思うのか。その瞬間、まさにその時に「あ、これ今自分ほしい」と思えるサービスに出会うとポチってしまうのか…もしれない。(なんの話)
ミニマリストにはなれないけど
子育てしていたら極限に物を減らすなんて無理なのはわかってきた。あれもこれもほしい。どんどん増えていく。
でも子供の成長に合わせて、モノの管理をしたいな…と思ったよというお話でした。
<おまけ>
今回実家に帰ったついでに妹の家に行きました。妹も子持ち、持ち家、結構広い。果たして中は…?
グチャーとしてて、やっぱ育った環境かしら…笑
ちょっと安心しつつ、うちもこういうことよねーと思うのだった。
<おまけ2>
他人の家、他人の子供、他人の夫をみて「うちの方がましか」と感じるあの感情。そしてその後もう少しうちはまともに?良い環境、関係、状況にしよう、という感情になる。
その時人はなにか動き出すのかな…。自分の気持ちが冷めぬうちになんとなく記録しておこ!